東京近代水道125年史
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59第1項 多摩地区水道事業のあり方の検討 1 都営一元化の経緯と事務委託制度の課題 前章で記載したように、区部と多摩の格差是正のため、昭和46(1971)年12月に「多摩地区水道事業の都営一元化基本計画」(以下「一元化基本計画」という。)を打ち出したが、市町や職員団体との調整の結果、当初予定していた都による直営方式ではなく、都に統合した上で業務を市町に委託する形で進められることとなった。 昭和57(1982)年までに25市町が統合され、水源の確保や給水普及率の向上、料金格差の是正等、都営一元化の発端となった課題はおおむね解決されていった。 しかし、事業運営が各市町に委ねられていることから、統合による広域化のメリット、規模のメリットを十分に生かすことが出来ず、業務運営や人事・組織、施設管理等様々な面で課題が顕在化していった。 業務運営面では、お客さまからの問合せや申請手続対応が居住市町に限定されるほか、料金取扱金融機関が各市町の指定した金融機関に限定されるなど、依然としてサービスの格差が残る結果となった。 また、施設管理面でも、市町域をまたぐ広域的な視点での合理的な給水区域の設定や、広域かつ効率的な業務執行体制の確立が困難であった他、将来的に小規模な市町で技術力を確保できるかといった課題も見え始めていた。 その他、人事・組織管理面や財務・予算面でも複数の課題が顕在化しており、将来にわたって区部と一体的に給水安定性やサービス水準を向上させていく上で、事務委託制度による事業運営の限界が明らかとなってきた。2 一元化の停滞と多摩地区水道事業のあり方検討(1)多摩地区水道事業のあり方検討 事務委託方式の課題が顕在化する一方、都営一元化自体も、昭和57(1982)年の第7次統合を最後に、十数年間一元化が進まない状態が続いており、一元化基本計画も策定から25年が経過しようとしていた。 折しも、バブル経済の崩壊や21世紀を間近に控えた時代の大きな変化へ対応するための行財政改革が都政運営の基本的目標となっており、その方針として平成8(1996)年3月に「東京都行政改革大綱」(以下「行政改革大綱」という。)が策定及び公表された。 この中では多摩地区水道事業のあり方についても取り上げられ、平成10(1998)年度を目途に「多摩地区の統合一元化の状況や市町への業務委託の状況を踏まえ、多摩地区水道経営のあり方について、その執行体制も含めて検討する」ことが盛り込まれた。 当局は行政改革大綱の趣旨を踏まえ、基本的には、現行事務委託の抜本的な見直しを行い、最終目標としては水道局の直営化を目指して取り組むべく局内での検討を進めていった。その結果は、平成10(1998)年12月に都が策定した「都民感覚から始まる都政の構造改革―東京都行政改革プラン―」(以下「行革プラン」という。)に反映された。 行革プランは、都庁全体の事務事業の見直しを行った文書であるが、その中で多摩地区の水道事業に関しては、①統合市町事務委託制度の見直し、②「一元化基本計画」の見直し、③臨時分水の見直しの3点が取り上げられた。(2)未統合市との調整 行政改革大綱の策定後、初めに着手したのが未統合市との間の調整である。 第7次統合完了時点で、一元化対象区域内で未統合の市は武蔵野、三鷹、昭島、調布及び羽村の5市であった。平成8(1996)年12月に未統合5市に対する意向調査を実施したところ、調布及び三鷹の両市は統合の意向を明らかとし、残る3市は当面市の事業として行い、将来的な状況に応じて統合については改めて検討するとの意向を示した。 意向調査の結果を踏まえ、統合の意向を示した2市との個別協議を開始し、調布市とは平成12(2000)年4月、三鷹市とは平成14(2002)年4月に統合に関する基本協定を締結した(従前と同様の事務委託により統合)。 なお、この間秋川市と五日市町の合併(平成7(1995)年)、田無市と保谷市の合併(平成13(2001)年)により市町数が減少したことから、統合済市町数は昭和57(1982)年時点と変わらず25市町となっている。第4節 多摩地区都営水道の経営改善

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