東京近代水道125年史
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49された。 こうした動きを踏まえ、都では平成18(2006)年3月に「首都直下地震による東京の被害想定」を策定、これに基づき、当局は同年6月に応急対策計画を改定した。 改定後の応急対策計画では、首都直下地震対策大綱で示された目標日数内での復旧を可能とするよう施工業者数等の体制を見直すとともに、応急給水体制についても、新たに居住地から最寄りの給水拠点へ直接参集する要員を指定することで、迅速な応急給水を可能とする初動体制を整備した。 一方、職員の参集基準については、これまで最大震度5強で全職員参集としていたが、施設の耐震化の進展や、直近の地震でも被害が生じなかったこと等を踏まえ、震度5強は一部参集、震度6弱以上の場合には全員参集とするよう、基準を見直すこととした。 その他、最新の被害想定に基づき、より優良な事業者の復旧作業への協力、復旧用資材の確保や配置場所及び調達方法の見直しなどを行うこととした。(2)他事業体との連携 当局職員や民間事業者と共に、応急復旧において大きな要素となっているのが被災地以外の自治体からの応援である。 大都市間の相互援助に関しては、昭和48(1973)年に東京都、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市及び神戸市との間で覚書を締結し、その後政令市が順次加入している。また平成8(1996)年には、阪神・淡路大震災を受けて応援本部の設置と応援幹事都市を新たに定めた。 この他にも、千葉県、茨城県等との間で、個別に災害時の相互応援に係る協定を締結している。 また、民間団体との間でも、大規模災害時の応急給水から応急復旧に係る業務への協力協定を締結した。第4項 東日本大震災と災害対策の見直し このように、当局は平成7(1995)年の阪神・淡路大震災の教訓に基づき、その後全国各地で発生した災害事例も踏まえながら災害対策を進めてきた。 しかし、平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災は、東日本の太平洋沿岸部を中心に甚大な被害をもたらし、当局の災害対策やその後の施設整備の考え方にも大きな影響を及ぼした。1 東日本大震災による水道施設への被害 (1)全体的な被害状況 東日本大震災では、地震と津波の影響で東日本の太平洋沿岸部を中心に被害が発生したほか、首都圏では、湾岸地域で広域的に液状化が発生したことにより、水道をはじめとするライフラインに被害が発生した。 震災直後、岩手県、宮城県、福島県をはじめとする1都1道17県の220万戸以上で断水が発生した。津波被災地区以外では、震災発生から1か月で90%程度の復旧が完了したが、その後の余震により新たな被害が発生した。 当局は被災地等からの要請に基づき人的・物的支援を実施し、人的支援として167名の職員(請負者を含む。)及び給水車やトラックなど82台の車両を派遣、物的支援としてペットボトル「東京水」約1万本及びマスク10万枚を、東京都全体の被災地支援物資の一部として被災地に送った。(2)都内の被害状況 施設関係では、金町及び三園両浄水場で設備の破損が、三郷浄水場では沈でん池等からの漏水が発生したが、送配水への影響は無かった。 また、給水所では3か所で舗装陥没等の被害が発生したものの、こちらも配水池等構造物の被害や水配への影響は無かった。 一方、多摩地区では、給水所及び配水所の緊急遮断弁が地震発生と同時に「閉」となったことから、稲城市及び日野市にて断水が発生した。 管路関係では、区部及び多摩地区ともに管路被害に起因する断水は発生しなかったものの、江東区、江戸川区、足立区など液状化の発生しやすい地域では送配水管路の継手部分の脱出といった被害が発生したほか、空気弁や給水管からの漏水も区部を中心に多数発生した。 しかし、総じて水配への影響や大規模な断水等は発生せず、都内での被害は軽微であった。(3)当局の応急復旧体制 震災の発生が平日午後だったこともあり、初動人員の確保について問題は発生しなかった。

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