東京近代水道125年史
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26第一章 東京水道100年の概観 また、急増する水道需要に対応するため、当局は利根川系水道拡張事業を開始したが、それは元利償還費の更なる増大や業務量の増加、給与引き上げという形で、水道財政を更に困難な状況に置くこととなった。 さらに、昭和36(1961)年秋以降は、降雨量減少による異常渇水にも見舞われた。この異常渇水により、昭和37(1962)年度には経営上初めての欠損金約2億8,000万円が生じ、続く昭和38(1963)年度も約13億円、昭和39(1964)年度には約45億3,000万円と大幅な欠損金を計上した。この結果、昭和39(1964)年度末では、約68億円の累積赤字が生じ、膨大な未払金を抱えるとともに、多額の一時借入金を繰り越す結果となった。4 難航する料金改定 経営状況改善のため、まず昭和31(1956)年1月には平均改定率約36%の料金改定を行い、ひとまず財政上の危機を脱したが、拡大する財政需要を賄うため、昭和36(1961)年6月、改定率28.05%の料金改定案を東京都議会に提案した。 この料金改定案に対して都議会は、値上げ率を20.64%に修正した上で、水道料金調査会を設置して業態別料金の不均衡を是正すること、利根川系拡張事業に伴う企業債利息相当分は一般会計で措置する、という付帯議決を付して、これを議決した。 この議決を受け、昭和36(1961)年10月臨時東京都水道料金及び下水道料金制度調査会が発足した。この調査会は、副知事を会長とし、学識経験者や都議会議員、関係各局長など20名で構成され、昭和37(1962)年12月には「水道料金の構成要素に関する答申」を、また昭和38(1963)年10月には「水道料金の体系に関する答申」を提出した。 これらの答申は、水道料金の総括原価に含まれる改良事業充当額や設備補修費相当額の割合とともに、個々の利用者の料金は、そのサービスの供給に要する原価をもとに決定されるべきとして、いわゆる個別原価主義に基づく料金体系の必要性を訴えた。さらに、需要種別は各需要者の設置量水器の口径格差を基準にするとともに、生活用水を中心とした基本水量制の採用による料金負担の軽減を妥当なものとした。 答申を踏まえ、昭和40(1965)年2月、値上げ率64.3%の料金改定案を都議会に提出したが、継続審議、議会解散により廃案となり、結局3度にわたる提案を経て、昭和41(1966)年2月、値上げ率35.4%という内容でようやく実施された。 新料金は、先の調査会答申に基づいて受益者負担の原則を通し、それまでの用途別料金体系を口径別料金に改めた点に大きな特色があり、また、一般会計からの利子補給及び淀橋浄水場跡地の売却による臨時財源の財政補てん措置と、経営の合理化努力などで、料金の値上げ幅を低く抑えたものであった。しかし、料金改定率が低率にとどまり、かつ料金改定の実施時期が遅れた結果、財政状況は一段と悪化し、昭和40(1965)年度末での累積赤字は約140億円に達した。 こうして、給水確保のための拡張事業を推進する一方で、財政をどう立て直していくかが最大の課題として残された。5 財政再建計画の策定と財政健全化の見通し 料金改定による増収と淀橋浄水場跡地の処分代金等により、昭和41(1966)年度及び昭和42(1967)年度は一応乗り切ったものの、なお巨額の累積資金不足が続いた。昭和43(1968)年度以降も、引き続き大規模な建設事業を実施する関係から元利償還費の一層の増加が見込まれ、その他の支出増と併せて、収支状況の先行きは暗かった。 こうした状況を踏まえ、知事は昭和43(1968)年2月に東京都水道事業再建調査会を設置し、水道事業再建のために水道料金を中心としてどのような措置を取るべきか等について諮問した。調査会は5か月間の審議を経て、同年7月に「東京都水道事業再建調査専門委員第一次助言」を提出した。 この助言に基づき、当局は水道需要増大への対処、多摩地区の水不足の解消、一般会計との負担区分の明確化などを基本構想とし、平均改定率42.5%の料金改定を盛り込んだ財政再建計画を作成し、昭和43(1968)年9月に都議会に提案した。都民負担を理由に同案は一旦否決されたが、改定率を36.6%に修正して再提案した上で同年11月に議決され、財政再建の第一歩を踏み出すことができた。 しかしその後も事業経費は増大し続けたことに加え、昭和48(1973)年10月のオイルショックによる狂

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