8. 「一元化」とは、従来の市町営水道を廃止、都営水道事業として統合し、水道料金その他の住民負担を同一のものとすることである。統合に当たり、市町の水道業務に従事していた職員は原則都職員として引き継ぐとともに、市町の水道事業に属する財産も、所有権者借地権等の全ての権利及び水道事業債の償還債務を始めとする全ての債務を、無償で、都営水道事業に引き継ぐこととしている。9. 市町の水道業務に従事していた職員の身分は市町職員のままとなり、都は、地方自治法第252条の14の規定に基づき、これらの市町に対して、当該市町地域内の水道業務を委託する。24第一章 東京水道100年の概観【写真1-12 一元化基本計画】一元化基本計画(以下「一元化基本計画」という。)及び同実施計画を策定し、これを発表した8(写真1-12)。 一元化基本計画は都としての考えを示したものであり、昭和47(1972)年1月に都は水道問題協議会と都の計画について協議を開始し、2月に都案どおり決定することで合意し、総括協議は終了した。 その後、各市町との個別協議に入ると、市町の職員団体は、自治権の侵害などを理由に都営統合に反対する動きを強めていたので、東京都は、市町の要望を受けて職員団体などと精力的に話合いを進めた。その結果、昭和48(1973)年5月、東京都は市町とも協議の上、一元化基本計画を一部変更し東京都に市町水道を吸収統合するが、市町職員の都への引き継ぎは行わず、業務運営を市町に委託9することで解決した。 この委託方式は、東京都の計画、目的及び効果において基本的には全く同じであるが、市町ごとの環境特性などに対応した業務運営の円滑化と、密接な市民サ-ビスの確保に配慮したものであった。これ以後、東京都と市町との具体的な統合に関する協議は順調に進み、昭和48(1973)年11月の小平市、狛江市、東大和市及び武蔵村山市に始まり、昭和57(1982)年4月の立川市まで、25市町を統合した(写真1-13)。 なお、多摩ニュータウン水道事業については、開発施行者である東京都が事業主体となり、当時の南多摩新都市開発本部が所管となって昭和46(1971)年4月【写真1-13 一元化基本協定締結式】事業を開始したが、基幹的施設の完成に伴い、平成7(1995)年3月統合について水道局と協議の結果、平成10(1998)年4月、その経営を水道局に統合した。第5項 拡張期の水道事業経営1 戦前期の水道経営(1)隣接公営水道の統合と民営水道の統合 関東大震災後、近隣町村では、増大する人口の水道需要を賄うため、自力で上水供給計画を立て、町村の組合組織や町営で水道事業を経営したり、更には民間事業に委ねたりした。しかし、これら近隣町村の各水道経済は積立金などの余裕はなく、むしろ公債の償還に追われて、他の経済からの援助を求めて成り立っていた。 このため、東京市域内の水道とは自ずと格差が生じ、「近隣町村水道を東京市営として統合し、料金負担の公平を図るべきだ。」との声も高まった。こうした声も追い風となり、昭和7(1932)年10月には市域拡張が実現し、町及び町村組合が経営していた公営水道が東京市に統合された。 また、公共団体が自ら経営にあたることを原則とする水道条例第2条に鑑み、市域拡張とともに市域内の3民営水道についても順次買収が実施された。玉川水道株式会社は昭和10(1935)年3月、矢口水道株式会社は、昭和12(1937)年3月、そして日本水道株式会社は昭和20(1945)年4月に東京市に一元化された(表1-2)。
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