東京近代水道125年史
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第一章 東京水道100年の概観23たり19円で協定したが、23区の基本料金10㎥当たり140円に比し著しく高く、三多摩都民感情としてこの料金格差には承服できない」として、東京都町村会より格差是正と給水料金の大幅な引き下げを求める陳情がなされた。 当時、財政問題とともに多摩水道のあるべき姿についても調査と提言を委嘱されていた東京都水道事業再建調査専門委員は、昭和43(1968)年7月提出の「東京都水道事業再建調査専門委員第一次助言」において、水道格差の是正について、多摩給水は分水のみでは不十分であり、多摩地区の水道を統合して都営一元化を図るべきだという原則を示した。これを受け、東京都は9月、多摩地区への給水の総合調査を行い、分水事業の一元化を図るために多摩給水管理事務所を新設した。 一方、地元の多摩地区でも、昭和44(1969)年7月に多摩地区全市町村長で構成される三多摩市町村水道問題協議会(以下「水道問題協議会」という。)を設立し、同年10月には、多摩地区住民の要望を受けて、水道事業の格差是正に関する要望を都に対して提出した。この中で、水道における格差として、多摩地区の需要急増に対し水源の見通しが立たないこと、水道料金の住民負担に差があること、水道の普及状況に差があること、給水施設の整備状況に差があること等が挙げられた。3 多摩地区水道の都営一元化 一方東京都は、昭和44(1969)年2月に水道事業財政再建専門委員に「区部と多摩地区の水道事業における格差是正措置」について諮問しており、昭和45(1970)1月には同調査会より「東京都三多摩地区と23特別区との水道事業における格差是正措置に関する助言」を得た。その内容は、「東京都は、三多摩地区市町村営水道事業を吸収合併し、区部水道事業とともに一元的に経営することによって、水道事業における格差を解消する方途を講ずべきである。なお、実施に当たっては、市町村の事情を個別に勘案して、段階的、漸進的に行うことを考慮すべきである」というものであった。 東京都は、この助言を受け、昭和45(1970)年7月に多摩水道対策本部を設置し、多摩地区市町村及びその住民の意向を尊重しつつ一元化を実現するための必要な調査を行い、翌年12月、多摩地区水道事業の都営とから、多摩地区内の市町村間でも給水普及率や水道料金などで大きな格差が生じていた。 さらに、多摩地区全般の水道需要は、人口急増と工場進出による多量消費者の増加で大きく膨れ上がり、水源の確保はますます困難となった。 しかも、多摩地区は各市町とも水源の大部分を地下水に依存していたため、急激な都市化や工場進出に伴う過度の揚水により地下水位が著しく低下し、一部の地区では既に地下水が枯渇し始め、深刻な問題となっていた。2 多摩地区分水事業の実施(1)臨時分水の実施 こうした状況を踏まえ、昭和37(1962)年3月に北多摩水資源対策促進協議会が発足するなど、地下水源以外の水源確保に向けて各市町は連携を強めていった。 多摩地区を対象とした給水対策を検討すべきとの声が高まる中、昭和38(1963)年9月3日の庁議で、関係局長及び多摩地区市町村長を主な構成員とする三多摩地区給水対策連絡協議会(会長・副知事、以下「連絡協議会」という。)を設置、東京都が主体となって市町村と協力して具体的な給水対策を進めることとなった。 連絡協議会での検討の結果、昭和39(1964)年8月に計画給水量を、昭和40(1965)年8月には多摩地区への送水計画などを決定し、都が多摩地区市町村に浄水の分水を行い、市町村は分水料金を負担することを取り決めた。 分水する計画給水量は、第二次利根川系水道拡張事業により措置することを予定していたが、多摩地区各市町の水不足は既に深刻化していたので、東京都は第二次利根川系水道拡張事業による分水施設が完成する昭和45(1970)年度末までの間、受水施設のできたところから暫定的に臨時分水を行う措置をとり、昭和40(1965)年12月に東村山市へ分水を始めたのを皮切りに、順次臨時分水を開始した。(2)区部との料金・サービス格差 これにより、各市町は供給体制を整備することができたが、水道料金の格差や住民サービスの面は、依然として問題を残していた。 料金格差として、最初から焦点となったのは分水料金である。昭和42(1967)年11月には、「分水料金については、分水開始に際し、暫定料金として1㎥当

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