東京近代水道125年史
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4. 第二次利根川系水道拡張事業では、元々、朝霞浄水場の拡張(80万㎥/日)、金町浄水場の拡張(46万㎥/日)、東村山浄水場の拡張(17万5,000㎥/日)小作浄水場の新設(10万5,000㎥/日)により、合計154万㎥/日の能力増強を図るものとして事業認可を受けていた。その後東村山浄水場の拡張を取りやめ、小作浄水場の施設能力を28万㎥/日とし、さらに小作浄水場の28万㎥/日のうち14万㎥/日を第三次利根川系水道拡張事業に引き継ぐこととしたことで、最終的に第二次利根川系水道拡張事業は一日最大給水量140万㎥/日に変更された(『東京都水道第一次 第二次 第三次利根川系拡張事業誌』)。第一章 東京水道100年の概観21路)も、水資源開発公団が施工することになり、また、利根川河口堰ぜき・草木ダムの計画も立案されるなど、東京都の水道事業にとって、ようやく安定した水源を確保できる見通しが立った。 以後、本稿執筆時点(令和4(2022)年度末)までに6次にわたるフルプランが策定され、これに基づく水源開発が進められていった。各フルプランの概要、対象年次や完成施設等については表1-1のとおりである。3 利根川系水道拡張事業(1)第一次利根川系水道拡張事業 水源施設の開発が決定されていく中で、東京都はこれにより生み出される原水を受け入れ、浄水処理し、配水する施設を建設するため、昭和38(1963)年より第一次利根川系水道拡張事業に着手した。 この事業は、水資源開発公団の建設する利根大堰ぜき、武蔵水路、秋ヶ瀬取水堰ぜき、朝霞水路等により導水された利根川の水を水源として、日量120万㎥の給水増加を図るものであり、朝霞浄水場の築造(90万㎥/日)、多摩川系統の東村山浄水場の給水能力拡張(30万㎥/日)、朝霞-東村山間の原水連絡管布設といった内容を含んでいる。 オリンピック開始以前の給水の非常事態を受け、水資源開発公団が施工する秋ヶ瀬取水堰ぜき及び朝霞水路の繰上げ施工が決定される一方、東京都も朝霞・東村山浄水場間の原水連絡管を突貫工事により完成させ、昭和39(1964)年8月25日には埼玉県の了解の下に、荒川から緊急に取水した。 次いで昭和40(1965)年3月には、利根川・荒川間の連絡施設である武蔵水路の大部分が完成し、利根川の余剰水を取水できるようになり、同年7月には東村山浄水場拡張工事が完成した。 拡張事業はその後も順調に進み、昭和41(1966)年10月には朝霞浄水場建設の第一期工事(60万㎥/日)が、昭和44(1969)年3月には第二期工事(30万㎥/日)が完了し、これをもって第一次利根川系水道拡張事業は完了した。(2)第二次利根川系水道拡張事業 第一次利根川系水道拡張事業を進めている中、昭和39(1964)年に「第一次フルプラン」の一部変更を受けた水需給計画が決定され、東京都へ合計17.2㎥/秒が配分されることとなった。この水源開発量の見通しの下に、区部と多摩地区の需要増加見込み分のうち日量140万㎥の施設拡張を目的として昭和40(1965)年6月に開始されたのが第二次利根川系水道拡張事業4である。 事業内容は、朝霞浄水場(80万㎥/日)及び金町浄水場(46万㎥/日)の施設能力拡張、多摩地区の給水拠点としての小作浄水場新設(14万㎥/日)、これに伴う送配水施設の整備である4。 金町浄水場の拡張は、昭和44(1969)年8月にしゅん工、小作浄水場も同年6月に第一期工事をしゅん工し、昭和45(1970)年から日量14万㎥の給水を開始した。また、朝霞浄水場の拡張については、昭和44(1969)年6月に着手し、昭和46(1971)年3月に完成した。 なお、この事業で施工された送配水施設である東西幹線は、金町系・東村山系の異なる水源系統を相互に結び付け、各系統の相互融通機能を大きく前進させたもので、その後の水源の効率的運用と事故時の断水回避対策など、給水の安定化に大きく寄与した。(3)第三次利根川系水道拡張事業 第一次、第二次利根川系水道拡張事業により施設能力の拡張を図る中、都は昭和44(1969)年5月、昭和50(1975)年度を目標年次とする水道需要予測を行った。それによると、昭和50(1975)年度の計画1日最大給水量は697万7,000㎥となり、既認可の施設では1日約180万㎥の不足が生じることが判明した。 そこで、第二次フルプラン(昭和45(1970)年に閣議決定)で開発予定の水量を基に、不足量のうち日量120万㎥分の施設拡張を行う第三次利根川系水道拡張事業を策定、昭和45(1970)年3月に事業認可を受けて開始した。

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