東京近代水道125年史
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第一章 東京水道100年の概観13【写真1-4 山口貯水池】第4項 創設期の水道経営1 水道事業の主体 明治維新後、度重なる明治官制変更の影響を受け、水道事業の所管は短期間のうちに再三変更されたが、慶応4(1868)年9月に東京府制が制定された後は東京府に移管された。 その後も府内の水道事務の所管は種々変更があったが、明治21(1888)年の市制及び町村制公布後、東京府も翌年5月1日に市制を実施し、水道事業も府から東京市に引き継がれた。 しかし、明治22(1889)年3月23日法律第12号により、東京、京都及び大阪の3都市には市長を置かず、府知事が市長の職務を行う、いわゆる特別市制が実施された。 地方自治という観点からは自治的性格が著しく阻害された特別市制は市民の不興を買っており、明治31(1898)年6月には、同年9月30日をもって特別市制を廃止すると決定された。これを受け、10月1日以降は、新しい東京市が設置され、水道事業も同市に引き継がれることとなった。2 創設期の水道事業会計(1)特別経済(会計)の設置 幕末から明治初期にかけては賦課金(現在の水道料金に相当するもの)を徴収せずに、従前からの積立金や官費などによって事業を維持してきた。 その後、東京府は明治7(1874)年からは再び江戸時代のように賦課金を徴収するようになったが、事務や財政については府庁の取扱いで、府会の議決事項ではなかった。 しかし水道需要が増大の一途をたどるようになると、その公共性の高さから、費用を地方税から支出する地方税経済に移すべきであるという議論が盛んとなり、明治22(1889)年1月、水道費を府地方税の支弁費目とする旨が示達された。 その後、水道事業が市に移管された明治22(1889)年6月17日の第1回市会において、水道経済を特別経済とする議案を無修正で可決し、歳入出差引残金があるときは、独立採算での運営の準備金として別途積立てすることが決議された。 明治22(1889)年以降、旧水道の維持管理や改良水道工事施工のために計6つの特別経済(会計)が設置されていった。このうち、明治32(1899)年に設置された改良水道経済(会計)が、その後の施設拡張事業の基盤として残り、その他の5経済(会計)については、順次改良水道経済に統合されていった。(2)改良水道工事と財政 明治25(1892)年に着工した改良水道工事は明治44(1911)年3月に完了したが、この創設期の投資額は最終的には約918万円となり、財源は国庫補助金が約294万円で、その他は公債や特別税などであった。なお、この創設期の工事に要した公債の元利金償還は、昭和9(1934)年度までかかっている。(3)第一水道拡張事業と財政 また、大正2(1913)年度に着手した第一水道拡張事業は、第一次世界大戦及び関東大震災という予期できない大事態に遭遇したが、初期計画からは4倍の期日をかけ、昭和12(1937)年3月に無事完成を見た。 第一水道拡張事業の財源は国庫補助金や国内外の起債により賄おうとしたが、第一次世界大戦による物価の高騰等により水道経済が極度の圧迫を受けた。そこで事業収支均衡のため、大正10(1921)年に水道使用条例を改正し、平均64.6%の料金改定を実施した。その後も関東大震災からの復興等により臨時的経費が膨張したことで、決算総額は当初予算の3倍に当たる約6,314万円に達した。3 民営・近郊町村水道の創設 日清・日露戦争を経て日本の産業経済が飛躍的な発展を遂げたことで東京への人口集中が進み、市域外の近隣町村(旧東京市に隣接している5郡)でも人口が増加していた。しかし、これらの町村は道路や学校の建

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