第2章6 第2章 多摩のこれまでの歩み 1893(明治26)年、多摩地域(西多摩・南多摩・北多摩の3郡)が、神奈川県から当時の東京府に移管された。 移管後の多摩は、東京の発展とともに成長し、交通の発達や、絹織物や綿織物などの繊維産業の隆盛などと合わせ、徐々に都市化が進行していった。 東京府に移管される前に整備された甲武鉄道に続き、京王電気軌道、西武鉄道などの鉄道網の整備が進み、住宅地の整備や、後の大学の母体となる学校、公園、病院をはじめとした各種施設の開設、また、区部から多摩地域への郊外移転が始まった。 戦時中は、飛行機工場などをはじめとする軍需工場が設置されたほか、軍事関連施設も設置され、都心と同様に空襲を受け、大きな被害を被った。 戦後は、軍需工場が民需の工場に生まれ変わるなど、都市化の進展が続き、ベッドタウンとして発展していった。 昭和30年代から40年代、鉄道の沿線に沿って急激な人口増加と急速な都市化が進んでいった。この人口急増への対応と良質な住宅供給を目的として、大規模な住宅開発が急速に進められた。 また、区部や京浜工業地帯からの工場移転の受け皿として、大規模な工業団地が形成された。多摩東京移管移管後から昭和初期戦時中・戦後高度経済成長期多摩地域の歴史多摩のこれまでの歩み
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